231102_長屋を改修する

今年に入ってから、民家を借りて、自分で設計し、自分の家・事務所・店(何の店かは決まってない)が合わさった場所をやりたいと思い始めた。家具の試作や建築の詳細部分のモックアップなど、原寸大で建築に関する検討するために広い民家を借りたい気持ちもあるが、一番は、住んでいる場所を開くことで、逃げも隠れもできないリスクを取りたいということだと思う。何から逃げも隠れも?という感じだけれども、仕事を通しての主張と、仕事外の自分との齟齬があまりにもあるとよくないなあということだと思う。例えば、めっちゃエコの街づくりをすすめよう!みたいなことを提案している人が、家ではプラスチックごみを可燃ごみに捨てまくっているみたいなことがあったら嫌じゃないですか。自分はそういうタイプ(できもしないことを人に求める)なので、そのみっともなさを克服するか、または自分のみっともなさを踏まえた仕事をするようにしたい。

建物のデザインを提案することが、生活の様式を提案することと表裏一体なのだとしたら、ある程度、自分の生活様式も自分がやりたい建築のデザインの延長線上にある方がいい。自分の望む生活様式を通してのフィードバックが仕事にもあるかもしてない。こんな生活のスタイル理想としてたけど実際自分がやろうとしたら無理だったから色々変えよう!みたいな。

ストイックに生活したいというよりも、考えている事が場所に現れたらいいなと思う。新しい家に引っ越しした時、最初は慣れないけど、生活を進める中で、自分の肌感覚に空間が近くなる。最近は自分も含めたみんなが色んな事に許容範囲が広がればいいなあと思っているので、そういうことを考えながら生活を進めた痕跡がある家で店的なこと、ないしは自分の仕事の打合せスペースとして開くと何かが起こりそうだ。
住んでいる場所に誰かが来ることで得られる町との一体感は凄まじいと思っている。アルゼンチンの集会所に住んでいたとき、公共的な場所に住むことの面白さを肌感覚で分かった。街と家って対のような感覚というか、絶対的になにか切り離されている感覚があると思うのだけど、家の中に公共性を持ち込むことの可能性はその時から感じ始めた。それは"家開き"みたいなすこし綺麗な話とは違い、否応なしに人が入ってきてしまうみたいな状態だっだ。公共性がある家みたいなのができれば、住んでいるだけで肌感覚的に町や社会の成り行きを感じれるのではないかというぼんやりした期待がある。野良猫とかが入ってきてもいいし、コロナウイルスが入ってきちゃってもいい。生活する場を多少なりとも開くことは、人や人以外からも一旦逃げも隠れもしない状態で(だって家だから)受け入れることかもしれない。とにかく個人での仕事に慣れてしまったので、次に進むための一歩を何か始めたい。

そんなことで、知り合いの方に大家さんを紹介してもらい、偶然めちゃめちゃ良い賃貸の長屋が見つかった。築70年で、69年同じ方が住んでいたため内装は傷んでおり、改修しようと検討していたタイミングで大家さんと知り合えたので、設計もさせてもらっている。賃貸なので、自分たちが出ていった後も借りたい人が現れるような改修にする必要があり、その点もとても面白い。半年前くらいから打ち合わせを行い、先日工務店の見積もりをとった。

向いに最高のクラフトビール屋さんもある。一度店に行ったが、毎日クラフトビールを我慢する葛藤に駆られそうだと思うくらいうまかった。