231017_保見団地と利他

2022年は、保見団地の地域計画(地域に住む方々や団体の声にならない欲望や脳みその端にある感覚の芽を拾い上げ、自発的で豊かな地域づくりの指針をつくる業務)が自分にとって印象的な仕事だった。仕事を進めるにあたり、様々な団体や地域の人と関わる中で、自分の保見団地に対するスタンスをしっかり考えなければと思った。そんな中で、たまたま読んだミシマ社から出版された中島岳志さんの著書「思いがけず利他」がとてもよかった。利他という言葉自体は、聞いたことはあるけれど何かはよくわかっていなかった。

利他という言葉は、他人に対して利益を図ることを意味するようだ。一般的な利他の概念から想像すると、ボランティアやプレゼントなどが思い起こされる。著者はそれらを完全に否定するわけではないが、安易な利他の矛盾や複雑性を指摘している。例えば、参加した事をやたらアピールするボランティアはどうしてもうさん臭さがぬぐい切れないことが多々あり、自分がいい評判を獲るためにやっているんじゃない?結局それは利己的なことがあるのでは?プレゼントや寄付は、関係性によってはもらう人に負い目や負債感が発生し、上下関係のようなものが発生してしまうのではないか?などと指摘されている。(文章力の問題で、著者がかなり斜に構えているひとかのような説明になってしまいましたが、実際はもっとマイルドでロジカルに語られています。著者も自分もボランティアやプレゼントを否定しているわけではありません)
だとしたら、「利他」とは何なのか。著者は「利他」とは、巡り巡って思いがけずに誰かに届くものであり、わかりやすく認識できるものではないのではないのではないか、ということを主張している。自分のやりたいこと(=利己的)だったり他人の為を思ってではない行動(横暴な行動という意味ではない)が、巡り巡って、偶然誰かのためになる瞬間が訪れる。与える人と与えられる人という構造が直接的ではなく、ふとした瞬間に、又は時間が経った後に、与える側ではなく、受け取る側の裁量によって、利他はうまれるのではないかと言っている。

保見団地の仕事に話は戻る。保見団地は、高校の頃住んでいた寮の近くにあり、私にとってはソーセージを買いに行ったり友達と遊んだりする場所だった。一方で、日本を代表する居住者が多国籍な地域というイメージが保見団地にはある。そこで仕事を時々しているという話をすると、多国籍というイメージからボランティア的な事をしているの?と聞かれがちだ。私の場合は、どちらかと言えば、居住者が多国籍化した地域で何かを作ることに興味がある。ボランティア性の高くない仕事をしている事に後ろめたさのような物は端からないが、保見団地のような様々な面で切迫していると思われている場所でも、住む人の背景を消費しない形で、自分の興味を追い求めて何かつくる事を継続することも大事だなあと思っている。